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【震災25年を迎えて】今年も参加した「阪神淡路大震災1.17のつどい」で改めて思ったこと、感じたこと

2020年1月18日

1995年1月17日に発生し、多くの犠牲者を出した阪神淡路大震災。

2020年で25年になろうとしています。

震災当時は20代前半だった自分も40代。

あっという間に時が過ぎてしまいました。

時間にすれば25年というのはそれなりに長い年月ですし、あの頃と今とでは環境も生活も一変してしまいました。

あの頃の多くのことが、今では懐かしい思い出となって胸の中にしまい込まれています。

1月17日という、私が住んでいた街を襲ったあの日のことでさえ、普段の生活の中では、その記憶の多くが薄れつつあります。

たからこの日だけは、あの時のことを思い出すために、この「集い」の場所を訪れるようにしています。

今回はそんな25年目の集いに参加して感じたこと、思ったことを語りたいと思います。

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人々の竹灯籠を見つめる思い

参加できたのは夜の7時ごろ。

21時まで行われているということ、しかも週末ということもあってか、まだかなりの多くの人が公園には集っていました。

場所は毎年同じところで、神戸市役所の南側にある東遊園地。

遊園地といっても、メリーゴーランドや観覧車がある遊技場ではなく、噴水や広場、ベンチといった南北に長い大きな公園になっています。

その北側の広場で集いのメイン会場が開かれていました。

広場の中央に行くと、大勢の人が周りを囲む「竹灯籠」が夜の暗がりの中で無数の火を放っています。

竹灯籠の輪は一ヵ所だけでなく、広場にいくつもありました。

その周りを囲むようにして皆が思い思いに祈りを捧げたり、じっと炎を見つめる人がいます。

竹灯籠は震災で亡くなった方の鎮魂の思いを込めたもの。

犠牲となった6000人余りの方の数だけ竹灯籠があるのかは分かりません。

ただ数えきれない竹灯籠から照らされる炎のゆらめきが、見つめるだけで何かを語り掛けてくるような気がしました。

しばらくじっと見つめ、やがて腰を落として手を合わせ、鎮魂の祈りを捧げました。

閉じた目の中には、この震災で亡くなった友人や知人の姿が浮かび上がります。

皆、笑顔で私を見つめてくれていたような気がします。

少しだけ、懐かしい気持ちに満たされました。

目を開き、ふと横を見ると、私と同じように竹灯籠の前で手を合わせて目を閉じる参加者の方がおられました。

揺らめく炎に照らされて祈りを捧げるその姿を見ていると、なぜだか分かりませんが、すごく胸にこみあげてくるものを感じてしまいます。

少し目の前が涙で曇ってくる気がして、私は竹灯籠に向かって一礼すると、その場を静かに離れました。

さまざまな思いが書かれた紙風車

竹灯籠のある広場を北に歩くと、石造りの舞台劇場のような広場に出てきました。

ちょうど欧米にある野外オペラが演劇を行うようなスタイルの場所で、イベントの際にはここで何か劇のようなものが催されるのかもしれません。

舞台の左右にある石造り風(実際にはコンクリートですが)の座席に、黄色の風車が飾られているのが見えました。

近寄ってみると、風車の羽のところに文字で色々なことが書き込まれています。

それは復興に向けてのものであったり、震災でのこと、家族のことや、将来のことなどさまざま。

竹灯籠とは違い、鎮魂というよりは未来に向けての希望のような雰囲気をこちらには感じました。

それぞれの風車に無数の未来への想いが託されているような気がして、少しだけ元気をもらったような気がします。

慰霊と復興のモニュメントで祈りを

続いて広場を南に降りていき、地下にある「異例と復興のモニュメント」に赴きました。

入口は噴水の横にあり、パネルが飾られている壁面を地下に下ったところに設置されている部屋になります。

それほど広くない場所にすでに大勢の人が入っていました。

中央に慰霊のモニュメントがあり、周囲の壁面には亡くなられた方の名前が刻まれたプレートがあります。

犠牲者のご家族やお知り合いの方がここを訪れ、鎮魂の祈りを捧げる場所です。

プレートがある壁面の床には花束が多く収められていました。

ここを訪れたのは、亡くなった学生時代のクラスメートと家族関係の知人のプレート前で祈りを捧げるためです。

名前をみつけ、それぞれの前で目を閉じて手を合わせました。

震災の日という特別な時以外は滅多に思い出すことのないのですが、いざその名前を目にすると、さまざまな思い出が胸の中をよぎります。

特に学生時代のクラスメートとは懐かしい思い出があった人なので、その顔がすぐに浮かんできました。

満面の笑顔で私を見つめるその表情は、25年経ってもまるで変わらず、あの時のままで止まっています。

竹灯籠のときの同じように懐かしい気持ちに満たされつつ、そっと目を開き、プレートに刻まれている名前を指でなぞりました。

そうすることで、クラスメートと会話できるような気が一瞬したからです。

やがてその場を離れ、両親の知人のお子さんの名前がある壁の前に立ちました。

親の知り合いのお子さんなので、私自身はそれほど親しかったわけではありませんが、子供の頃に何回か顔を合わせたことがあり、その頃の思い出は今でも残っています。

亡くなった経緯を震災直後に聞いて、何とも言えない気持ちになったことも覚えています。

私の親とお子さんのご両親の気持ちも合わせて、鎮魂と魂の安寧のために祈りを捧げました。

まとめ

震災から25年という月日が経っても、これだけ多くの人が足を運ぶ理由。

私はこう思います。

記憶の中で犠牲となった方が生き続けているから。

少なくとも私自身がそうだからです。

あの時、あの場所で亡くなった友人や知人。

目を閉じると、あのときのままで彼らはいます。

その心の想いを共有したいと思うから。

たとえ言葉は交わさなくても、その場にいるだけで同じ胸の想いのいくばくかは伝わってくると思うから・・・

この集いの意味があるのだと私は思います。

同時に鎮魂の場は犠牲となられた方々だけではなく、生き残ったご家族や友人、知人の想いを癒す場所だということも。

竹灯籠やモニュメントの場にいることで、そう強く感じることができました。

これからも変わることなく、この集いが続くことを願っています。

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