子供の頃に父親と弟と一緒に行ったキャンプで体験した「溺れかけ」話です。
前回の記事でハイキングで野良犬と大雪でえらい目にあった体験をしましたが、今回もやはりいつもの親子3人で遭遇した「えらい目」です(関西弁で「大変な経験」という意味です)
父親は基本的には楽天家なのですが、同時にあまり「思慮が深くない」という性格も併せもっています(今でも)
このときのキャンプでも父親のそんな「あまり物事を深く考えない」ところが裏目に出ました。
懐かしい思い出話であり、同時に結構命が危なかった、夏のキャンプ体験談を語っていきたいと思います。
夏の海岸での楽しいキャンプ
小学生の頃、夏になるとアウトドア好きな父親に連れられて、毎年どこかにキャンプに出掛けていました。
その年は住んでいる町から電車とバスと船を乗り継いで行った、瀬戸内海の離れ小島です。
夏休みもちょうど後半で、お盆の後くらいだったでしょうか。
リュックにテントや食材、キャンプ道具を詰め込んで、たどり着いた夏の海。
雲一つない青空に、照り付ける太陽でした。
時期的なものなのか、たまたまだったのかは分かりませんが、その辺りには私たち家族しかおらず、思いがけないプライベートビーチ状態に気分は高揚しました。
絵に描いたような夏の海の光景と合わせて「おおーっ!」と興奮し、砂浜にリュックを放りだして猛ダッシュで海に走り出した私と弟。
「おーい!水着に着替えてから泳げよ~」
背後で父親の声が届きましたが、構わずにTシャツと短パンのままで海に飛び込みました。
「気持ちいい~!」
二人で顔を見合わせながら、夏の海の心地よさに目を細めました。
砂浜が広がる海辺にスライディングしただけなので「海岸に寝っ転がった」という表現が正しいのですが、打ち寄せる波に身を任せながら見上げる青空の美しさは、大人になった今でもはっきりと思い出せます。
夏の海を弟と二人で堪能し、背後でテント設営の準備をしていた父親のもとに戻り、作業を手伝うことになりました。
午前中に家を出てから途中の街で昼ご飯を食べていたので、準備するのはテントの設営と海釣りの用意でした。
父親は無類の釣り好きで、週末になると会社の同僚や一人でよく海釣りに出かけており、今回のキャンプでもその気満々でした。
父親に渡された竿にリールから糸を通し、釣り針や仕掛けを取り付けたりして準備に没頭しました(普段からよく連れて行ってもらっていたので、およその仕掛けは作れたのです)
準備が整い、テントの設営も終えたので「よおし!」と皆で目の前の海に向かって竿を大きく振り上げました。
投げ釣りです。
しばらくは竿からくる反応を気にしていましたが、まったく釣れる気配がないことに飽きてきて、私と弟は父親に「海に入ろうよ」と声を掛けました。
釣りを続けたそうな父親でしたが、1時間以上も釣り果がないことで諦めがついたのか、皆で水着に着替えて海で遊ぶことになりました。
ボール遊びをしたりして、わーきゃー楽しんでいるうちに、気が付けば夕方になり、日も少しづつ傾いていったのでした。
砂浜のバーベキューで夜を過ごす
「そろそろ上がるか」
父親の声に頷き、皆で海から出ることになりました。
目の前は海なので、いつでも夜釣りができるということもあり、父親は海岸に固定する台のようなものに竿を置いて、テントの中に置いてある調理道具やクーラーから食材を持ってくるように私と弟に伝えてきました。
晩御飯の準備です。
当時の我が家のキャンプは、ご飯は飯盒で、調理に使う火は炭火で、かまどはその辺りにある石で作る、というスタイルが定例でした。
今でこそお洒落なキャンプ調理道具は充実していますが、30年前はそこまで普及していなかったこと、父親自身が田舎育ちであり、登山にもよく行っていたこともあって、ワイルドな野営に慣れていたこともあったのでしょう。
整ったキャンプ道具で用意するよりも、自然の石や砂浜で準備する飯盒やバーベキューのほうが、子供心に楽しいものだったのです(今でも)
その日も傾きつつある海岸の夕日を背景に、海岸にある流木を集めたり、石を拾ってきて竈を作ったりする作業に熱中しました。
火起こしも、持ってきていた炭に新聞紙で着火して、フーフーと息を吹きかけて炭火を作るという原始的なスタイル。
これが楽しかった。
竈も海岸に落ちていた石を拾って作ったものなので、手作り感がすごく良かったのです。
生米と水を入れた飯盒を木の棒にひっかけて竈の石に渡らせ、ようやくつき始めた炭火の上に載せると、あとは出来上がりを待つだけ。
その間に同じように石で作った調理台の上に、家から持ってた大きめのバーベキュー用の網を載せ、そこに油を引いて食材を載せていきます。
もちろん網の下には炭を準備して、米を入れた飯盒と同じように火をつける作業。
慣れた手つきで父親はそれを進めていき、私と弟は横の石竈の飯盒をチェック。
ぐつぐつと飯盒の中から沸騰したお湯が溢れ出てくると、ご飯の完成です。
その時点で「じゃあ、おかずを作っていこうか」と父親が号令し、ようやく本格的なディナーの始まりとなるのでした。
熱した網の上にアルミホイルで包んだ人参、じゃがいも、たまねぎが置かれ、その横に肉を載せていきます。
我々親子は網を囲むように、海岸で拾ってきた大きめの石にそれぞれ腰かけ、父親はクーラーボックスから取り出したビールを、私と弟はコーラやジュースを取り出して、皆で乾杯をするのでした。
すでに真っ暗になっていた海の夜。
ほとんど人気のない海岸沿い、目の前にはザザーッという波の打ち寄せる音だけが聞こえてきます。
目の前には炭火と焚火の明るい炎が煌々と照り光っていました。
次々に焼けていく肉や野菜を頬張りながら、出来立ての熱々のご飯を食べる瞬間は至福です。
時々空を見上げると、広がる夜空に明るい星がまばゆいばかりに光っていました。
都会とは違って、遮るものも光源も何もない、ただひたすらの大きな夜空に、吸い込まれるような畏怖の念を覚えたことを思い出します。
やがて食材を大方食べ尽くすと、「片付けは明日だな。寝る準備しよう」と父親が号令をかけました。
朝のテントは満潮に包まれつつあった!
テントは海岸から少し離れた場所に設営していました。
砂浜だったので、テント内の地面も比較的に柔らかめで、山のキャンプと違って寝心地の良さが期待できます。
寝袋を用意し、皆でその中に入って、しばらくそれぞれの時間を過ごしました。
ライトをテント内の天井につけていたので、父親は読書を、私と弟はマンガを読んだりしていました。
気が付くと私は眠ってしまっていて、目を覚ましたのは夜中。
トイレに行こうと思い、テントを出ると、前の晩と同様の真っ暗な海と満点の夜空が広がってました。
近くの木の茂みでおしっこをした後、テントに戻る前に空を眺めながら、夜の海風に身をゆだねていました。
まるで別世界にいるような不思議な感覚。
いつまでもここでいたい。
そう思ったくらい、心地よい空間でした。
明日の朝はどんなことをして遊ぼうかな、などと思いながら、父親と弟が寝ているテントに戻っていきました。
そして2度目の目覚め。
テントの外から陽の光が差し込んできています。
そこそこ強めの日差し。
時計を見てみると、朝の7時でした。
横を見るとまだ父親と弟は寝ていたので、私は一人で起きて外に出ようとしました。
そのときです。
テントの入り口のジッパーを開けた時、下を見て気づいたのです。
(ん?海が目の前にあるんだけど?)
目を上げると、思わず「うわっ!」と叫んでしまいました。
何と目の前には海水が迫ってきていて、もう少しでテントが飲みこまれるところだったのです。
前の日の海岸線は、今の場所からもっと遠くに位置していたはず。
野営に慣れていた父親なので、まさかの事態(満潮)も想定した上での設営場所だったのでは。。。
(とはいえ)
楽天家で詰めの甘い父親のこと。
今思うとたぶんいつもの「大丈夫だろう」だったのでしょう。
当時の幼かった私にはそんなあれこれは思いつくはずもなく、目の前に海が迫る危機的状況を見て、あわててテント内で寝ていた父親と弟を起こし、目にした光景を説明しました。
それを聞くやいなや、父親は飛び起きて「すぐに出ろ!」と私たちに言い、寝袋から飛び出てきました。
私はまだ寝ぼけ眼の弟を引きずり出し、寝袋やリュックを持って、慌てて外に飛び出しました。
海水とテントの間にはまだ少し余裕があったので、その間を縫って背後の砂浜に逃げます。
その間に父親も飛び出して、テントを背後に引っ張っていくのが見えました。
少し高めの場所まで逃げてると、横から「ここなら大丈夫だ!こっちへ来い!」という父親の声が聞こえました。
そちらに向かって合流すると、父親は「満潮だな。すっかり忘れてた。あと少し寝ていたら、危なかった」とホッとした表情で海を見つめていました。
海の水が満ちるのを待ち、30分ほどで潮が引いていくのを確認すると、先ほどの場所に戻ることにします。
幸い昨晩の食事場所は無事で、海にさらわれることなく前夜のままに残っていました。
「助かった。また火起こしとか大変だからな」
父親は先ほどの満潮の恐怖はまるでなかったかのような淡々とした表情で、テントから持ってきたリュックを砂浜に置き、中からいくつかのものを取り出しました。
着火剤とライターでした。
昨晩の炭火や焚火の残りかすの上に置き、ライターで火をつける父親。
私はそれを見ながら
「怖くなかったのかな?」
と子供ながらに思いました。
結構な危機的状況だったので、私はまだそのとき少し恐怖におののいていたのです。
もしあのまま溺れていたらどうなっていただろう?
海に流されていたら死んでしまうのかな?
などなど・・・
色々と想像してしまう性格なので(だから今でも文章を書くのが好きなのですが)、そのときも「もしも」を考えて一人ビビっていたのです。
しかし父親は何度も言うように「超楽天家」。
思慮が浅いともいえるのですが、基本的にはすぐに物事を水に流すタイプです。
このときもそれが発揮されて、すっかり先ほどの満潮事件がなかったかのような気軽さで、口笛を吹きながら火おこしの準備に興じていました。
「ボウッ」
と音を立てて、着火剤に火がつき、勢いよく炭火や焚火の残り木に燃え移りました。
父親のそんな様子を見ていると、色々と考えている自分がバカバカしくなり、一緒に火おこしの準備を手伝うことにしました。
夜露で湿っていた部分もあったので、新しい炭を移し替え、弟と二人でも海岸を歩き回って焚火に使う枯れ木を探して、新しい火起こしに加えました。
昨晩と違って辺りは太陽の光で照らされつつあり、いかにも夏の朝という明るい雰囲気でした。
その中で燃え盛る炭火と焚火はいささか不釣り合いな光景で、私が妙な違和感を覚えながら火を見つめていると、
「今日の朝食はこれでいくぞ」
と父親が何かの箱を取り出して、中から袋を取り出し、それを小鍋に入れているのが見えました。
「なに、それ?」
「まあ黙ってみてな」
父親はこちらを見ずに作業を続け、粉のようなものを入れた鍋に今度は水を入れているようでした。
全て入れ終えると、小鍋の中身を割りばしでかき混ぜ始め、それをしばらく続けていたのです。
不思議に思いつつも、攪拌を続けている父親から「クーラーボックスから飲みものをとっておいで」と言われ、私は立ち上がってテントのそばに置いたクーラーボックスまで歩きだしました。
父親と私と弟の3本分の飲み物をもって帰って来ると、火が付いた炭火と焚火の周りも地面に割りばしを差している父親と弟の姿が目に入りました。
「それは?」
座りながら再び聞くと、
「パンケーキだよ。焼きあがるまでちょっと待っとき」
と言われ、そのまま石に腰かけて火と割りばしに見つめていました。
割りばしの先には何やら白っぽいクリーム状のようなものが厚く塗られていて、それを上に向けて、塗られていない割りばしの餅ての部分を地面に突き刺して、近くの炭火と焚火で焼いていたのです。
そこから漂ってくる香りは甘く香ばしく、すごく美味しそうに感じました。
しばらく待っていると、
「できたぞ」
と言って、父親がその中から2本を抜き取って、私と弟に差し出しました。
私はそれを受け取ると、先ほどの白いクリーム状のものは、きつね色に焼きあがっていました。
さらにそれは馴染みのある香りだったのです。
「これホットケーキ?」
聞き返すと、父親は頷き、自分も一本を取り、それを頬張り始めていました。
私も弟も父親に習って食べ始め、
「美味しい!」
と声を挙げました。
外側はカリッとして、中身はまだ焼きあがっていないのか、少しトロリとしていました。
トロリの部分は甘酸っぱさがあり、まるでケーキを食べているような味わいでした。
あまりにも美味しかったので、
「どうやって作ったの?」
と聞くと、
「ん?簡単やで?ホットケーキの素を水で溶いて、それを焼いただけ」
と愉快気に返してきました。
地面にはホットケーキミックスの箱があり、それはいつも母親が作ってくれるのと同じメーカーのものでした。
「ホットケーキにしては味が少し違うなあ・・」
母親が作るホットケーキはもっと甘くて硬い風味で、少しパサついている印象がありました。
でもここで食べたのは甘さと酸っぱさがあり、しかもトロリとした半溶け状態。
それがまた「クリーム」のような口どけ感を彷彿とさせていて、もともとケーキ好きの私は食べた瞬間にすっかり気に入ってしまったのです。
「これ、本当に美味しいなあ」
何度もそういっていると、父親が
「お前も作るか?」
と言ってきたので、「うん!」と私は頷くと、渡された割りばしに鍋に入ったホットケーキの素を塗っていったのでした・・・
満潮事件と美味しかった割りばしケーキは今でも良い思い出です
こうして美味しい朝食を終えた私たち3人は、その日の昼すぎには出立予定だったので、前夜に作ったかまどや焚火の残骸を掃除し、テントも撤収して、30分ほどかけて帰宅の準備を始めました。
まだ9時過ぎだったので、弟と海に入って遊んだり、父親は少し離れた磯で海釣りをしたりと、12時ごろまではそれぞれでいつもの夏の海遊びに興じていました。
やがて時間が来て海を後にし、再びバスと船、電車を乗り継いで、家に帰宅したのは夜8時過ぎのこと。
帰宅してから母親に「お父さんが作ってくれたパンケーキ、お母さんより美味しかったよ!」と元気強く言うと、母親は苦笑しながら「本当?どんな味だった?」と聞いてきました。
私が「うん、甘くてちょっと酸っぱくて、トロっとしてて、まるでケーキみたいだった!」と答えると、母親は少し怪訝そうな顔をして、父親の方を向いて「甘酸っぱくてトロっとしてるって、それって生焼けだったんじゃない?」と聞くと、父親はバツ悪そうに「そ、そうかな・・」と言い、そそくさと部屋の奥に逃げて行ったことを思い出します。
あれはきっと母親の言うとおりに「生焼け」だったのでしょう笑。
幸いミルクや卵は入れていなかったので、お腹を痛めることはなかったのですがね。
でも子供ながらに凄く美味しくて、あのときの味は今でも忘れられません。
ホットケーキを作る時は、今でも中身をトロリと半焼けで食べるのがすごく好きですよ。
そして満潮事件。
あれは本当に危なかったです。
あと一時間も寝ていたら、私たち親子3人は海にさらわれてしまって、引き潮と共に沖合に流されていたかもしれません。
そうなったら、まず命はなかったでしょう。
ゾッとする出来事でした。
あれから海沿いでキャンプすることはなかったのも、父親なりの危機意識だったのかもしれません(そのときに気づけよと)
当時のことを聞くと覚えているようで「あのときは危なかったなあ」と言っています。
溺死寸前からみんなを救った、私の一歩早い目覚めに感謝してほしいくらいですがね笑
ということで、今回のアウトドア体験談はここまでです。
また機会があれば、思い出深いアウトドアでの出来事を語っていきたいと思いますよ。
*キャンプで食べたパンケーキの作り方は以下の記事で「イラスト付き」で詳細を紹介しています
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