防災と災害について考えるブログ

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【火災体験談】自宅マンションが火事になった時の話

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今から20年ほど前のことです。

当時住んでいたマンションが火事になり、住民全員が建物外に退去したことがありました。

今回はそのときの体験談を語っていこうと思います。

 

 

火災発生直後

 

あれは3月の初旬のこと。

当時学生だった私は、両親と同居しており、火災が発生する直前までテレビを見て過ごしていました。

ちょうど夜中の12時ごろのことだったでしょうか、そろそろ寝ようかなと布団にもぐりこんだ時、居間にあったインターホンから「〇〇号室で火災が発生しました!住民の皆さんは直ちに退去してください!」という大音量が突然流れ始めたのです。

それは居間から離れた私の部屋にも普通に聞こえるくらいに大きな音でした。

当然ながら私は驚き、慌てて布団から起き上がると、とりあえず簡単に着替えて居間に向かっていきました。(当時はジャージのままで寝ていました)

居間にはすでに両親がいて、寝間着姿のまま呆然と立っていたので、

「何してるの?部屋を出ないとあかんで!」

と声をかけると、さらに奥の部屋にいた祖母のもとに駆け寄っていきました。

そこにはまだ寝入っていた祖母がおり、私は「おばあちゃん、火事だ!逃げるよ!」と身体をゆすって無理やり起こすと、まだ眠そうな祖母が起き上がるのを手助けしながら、そのまま立ち上がらせ、近くにあったガウンを着せて部屋を一緒に出たのです。

居間に戻ると、両親は事態を把握したのか、寝間着の上にコートを着て玄関に向かうところでした。

私は祖母の手を引っ張りながら、少し速足で両親の後を追いました。

靴を履き、祖母にサンダルを履かせて扉を開けると、廊下にはすでに同じ階の住民が、私たち家族と同じように寝間着姿でエレベーターを待っているのが見えました。

母親が隣の部屋の住人を見つけ、事の詳細を聞いていました。

それによれば、3つか4つ下のフロアのある部屋の住民が、寝たばこを消し忘れて火災が発生したとのことでした。

「下の部屋から火災が発生って・・・・火が上に向かってくるやないか!」

皆がそう思ったと感じますが、私も事態の詳細を聞いて、真っ先にそのことを考えました。

(これはヤバい)

すでに阪神淡路大震災を経験していたこともあって、火の回りの早さの恐ろしさは十分に理解しているつもりでした。

このフロアから一刻も早く逃げないと、と思い、エレベーターを使わずに非常階段で退避することを両親に伝えました。

両親も隣家の方も同意し、皆でエレベーターの横にある非常階段に向かい、扉を開けたのです。

 

非常階段での退避行

 

 

すでに非常階段は上の階から退避してくる住民で一杯で、ゆっくりと階下に降りていく様子が分かりました。

私と家族はその流れに乗るように、皆と同じように階段を下に降り始めました。

皆言葉を交わすこともなく、粛々と階段を下りていっており、ときおり子供や赤ちゃんの泣く声が響き渡るのみで、基本的には騒ぎが起こることもなく皆が冷静に動いているように見えました。

ただ多くの住民が寝間着姿であり、老いも若いも関係なく女性は化粧っ気なしで、髪の毛がボサボサに乱れたままの人もいて、それを見ると「ああ、これは非常事態なんだな」と改めて確認させられた気になりました。

やがて背後から、

「お母さん、どうしたの?」

という母の声が聞こえたので、急いで振り返ると、そこには手すりにつかまってしゃがみ込んでいる祖母の姿がありました。

「あかん・・歩かれへんわ・・・」

当時すでに80歳を超えており、足腰もずいぶん弱っていたので、無理もない話でした。

しかも自分たちが住んでいたフロアは14階で、まだこれから10階以上の階段を降りていかなければならなかったのです。

「しっかりしないと!」

自分の母親だからか、母はしゃがみこむ祖母を叱咤激励しようとしていました。

後ろの方を見ると、祖母がしゃがみ込んだせいで列が止まってしまい、何事かとこちらを見てくる住民の姿が見えました。

母もそれを分かっていたので、少し焦っていたのでしょう。

私はそれを制し「俺がおぶっていく」と言いました。

母は心配そうに私を見ると、

「そういっても、おばあちゃん、重いよ」

と言いましたが、これ以上、上から降りてくる人の流れを止めるわけにはいきません。

私は階段の途中で少ししゃがみ込むと、祖母に背中に乗るように伝えました。

最初は躊躇していましたが、やがて母の説得もあり、祖母は私の背中に乗ってきました。

(ぐっ)

祖母が背中に乗った瞬間、その想像以上の重さに正直「これはキツイ」と思いましたが、これ以外に選択肢はありません。

父も母も体が小さく、とても祖母の体を背負いながら、10回以上の階段を降りきる体力などは期待できなかったのです。

(ぐむううううっ)

と心の中で唸り声を上げながら立ち上がると、ゆっくりと階段を降り始めました。

「すまんね・・」

背中越しに申し訳なさそうな祖母の声が聞こえたので「大丈夫やで。それよりしっかり掴んで離さんときよ」と話しかけました。

そうして再び退避する住民の流れが動き出し、少しづつですが、目的である一階に近づいていきました。

その途中、突然階段の下の方から列が割れて、消防隊の方たちが駆け上がってくるのが見えました。

 

 

やがて私の横を通ったときに、祖母を背負っていた私を見て「大丈夫ですか?」と声をかけて来られた消防員の方がおられました。

「大丈夫です。ご苦労様です」

礼を言い、私は会釈しました。

消防員の方も頷き「気を付けてください」と仰ると、再び他の消防員とともに階上に向かっていきました。

すでにそのときの階段の位置は、火災が起きたフロアよりも下にきていたのでしょう。

火元よりも下にいるのであれば、ひとまずは安心というものです。

消防隊が上に駆け上がっていく姿を見つめながら「助かった・・」と少しホッとしていました。

それからもゆっくりと祖母を背負いながら、階段を降りていき、ようやく一階のエントランスに出ることができました。

 

無事に退避成功

 

すでにそこには大勢の住民が集まっていて、エントランス部分は人込みで一杯になっていました。

私は祖母を地面に降ろすと、父や母とともにマンションの外に出ました。

外は肌寒く、上着がなければ風邪でも引きそうな温度でしたが、ずっと祖母を背負って階段を降りてきていたので、その寒さがちょうど良いクールダウンになりました。

外でも歩道にマンション住民があふれ出ていて「このマンションって、こんなに人が住んでいたんだ」と妙なところで感心したのは今でも覚えています。

やがてマンションの状況を確認しようと、道路を隔てた向かいの歩道に皆で向かうと、そこから上を見上げました。

星空を背景にしたマンションは、火災が起きたと思われるフロアの真っ黒にすすけた壁面以外は、不思議なほどに闇夜に白く映えていました。

消防隊による消火活動があったことを示すように、道路わきには複数の消防車と、消防隊員の方たちの姿があちこちに見えます。

住民や消防隊員の方との会話を聞いていると、消火は無事に済んで、これから現場の検証に移るとのことでした。

もうしばらくで住民が部屋に戻ることも可能になるので、あと少しだけ外で待機して頂きたいということも併せて耳にし、ひとまず安心しました。

その場でポケットにあった携帯電話を取り出して、友人にメールを打ちました。

「今、うちのマンションで火事があった。住民全員が退避してエライ騒ぎになったよ。幸い皆無事で一安心」

夜中だというのに、友人は起きていたのか、すぐに「良かったな!」という返信が返ってきました。

それを見てなぜかホッとした私は、携帯を閉じると、そのまま静かにマンションを眺めていました。

 

その後・・

 

それから30分ほどすると、部屋に戻っても大丈夫ですとの指示が消防隊から届き、住民全員がそれぞれの自宅に戻ることができました。

私たち家族もエレベーターで自室まで戻ると、ようやく一息つき、温かいコーヒーを父や母と共に、祖母は緑茶を出して、皆で居間のテーブルに座ってくつろぎました。

時刻はすでに夜中の2時を過ぎています。

幸い、翌日は日曜日だったので、遅くまで起きていても支障はありません。

その夜の火災のことを、母が近所の人に聞いた話をまとめてみると・・・

 

・火元は10階

・寝たばこでカーペットに火が移った

・部屋は一部燃えたが、類焼はせず、すぐに消し止められた

・軽傷を含めた怪我人はゼロ 

 

ということで、マンションの下で自分が耳にした情報とほぼ同じでした。

ボヤを起こした住人の詳細は不明でしたが、寝タバコによる失火は誰にでも起こり得ることなので、当該の住人の不注意を非難しつつも、皆も気を付けないといけないねという戒め談義に終始しました。

それから祖母がいかに重かったかとか、階段を降りる時に何度もずり落ちそうになるので、引っ張り上げるのが大変だったよとかの、私の苦笑交じりの愚痴話を皆が笑いながら聞いていたりして(祖母は申し訳なさそうでしたが^^;)、20分ほどのんびりと過ごした後、やがて皆が再び就寝につきました。

翌朝、目を覚ましてカーテンを開けると、窓の外には雲一つない青空が広がっていました。

まるで昨晩のことがウソのような快晴でしたが、朝食後に外に出て昨晩と同じようにマンションを下から眺めると、夜に見た時よりもよりくっきりと当該のフロアの壁面にボヤの黒いすすけた後が残っているのが見えました。

(ああ、火事はやっぱり本当にあったんだな・・・)

黒いボヤの跡を見つめながら、無事に火災が収まったことに改めてホッとしたのでした(終)

 

まとめ

 

20年以上も前のことなので、詳細は少し忘れてしまいましたが、今でも「火災が発生しました!」という夜中の大音量の非常放送は忘れられません。

非常階段を降りていくときの「不安」や「焦り」も。

このまま火がこの場所に訪れたらどうしよう、とか、階下に火が回っていて逃げられなかったら・・などと、色々と考えながら、退避を続けているときは、結構気分は重かったです。

消防隊の方たちが階段を上ってきたときは本当に安心した一瞬でした。

ああ、これで助かるんだと。

結果は一部延焼とボヤで済んだので、大事にならずにホッとしましたが、それでも夜中に全員屋外退避を命じられたときの気分は、今思い出してもゾッとするものがあります。

この時に感じたのは、足腰を含めた体力は日ごろから鍛えておくべきだということ。

緊急時にはエレベーターが停止することもあるでしょうし、そうでなくても、このときのように非常階段を使う方が早い場合もあります。

そのときに必要なのは、やはり体力ということ。

 

 

震災のときもそうでしたが、緊急時は何はともあれ、ストレスに負けない精神力とそれを可能にする体力、普段起こり得ない状況下での脱出行を可能にするための体力、一定期間、生き延びれるだけの基本的な体力、これらすべての「力」が総合的に試されるのだと思っています。

祖母も私に背負ってもらうだけの腕の筋肉が残っていたからこそ、階段での移動に耐えられたのだと思います。

もちろん、それが全てではないですがね。

とにかくこれが人生初の火災からの退避体験でした。

そしてまさか同じことが、この数年後に起ころうとは・・・

そのときのお話は、また別の機会に。